言いたいことを言ってるだけ

今の所、毎月9のつく日に更新したい。叩かれるの怖い。

人工知能は思考するのか?

重力ばらばらクラフトは「くらクラ」って略してます。

さて、当ブログで1番アクセス数の多いワイテルズさん企画「Qualia Crisis」を勝手に考察するシリーズ第3弾をやって行こうと思います!

第0弾:自意識がクライシス迷子 - 言いたいことを言ってるだけ

第1弾:ワイテルズ紹介はしてない不老不死について - 言いたいことを言ってるだけ

第2弾:文系から見た科学哲学の話。 - 言いたいことを言ってるだけ

↑第1弾に概要書いてあるので1から順に読んでみるのも面白いと思います!

⚠️こちらのブログ記事にはネタバレが多く含まれております。ほぼネタバレです。その為、一度動画を観てからこの記事を読むことをおすすめします。何なら記事を読んだ後に再度視聴、そのままゲーム実況動画に移動し沼ることを強く推奨しています。記事には戻ってこなくて結構です。本ブログはアカデミックな裏付けがされておらず、全て自分の妄想である可能性が大いにあります。
本記事はワイテルズさんと一切関係がございません。従って動画のコメント欄等、関係の無い所でこちらのことを書くのは辞めてください。また、他掲示板等にこのブログのURLを貼り付ける及びその他迷惑行為になる真似はやめてください。何か問題が発生した場合は本記事のコメント欄にお寄せ下さい。
いつもの通り、両者の意見を載せて間に自分の意見を差し込んでいきます。それでは、どうぞ。(以下、敬称略)


【Qualia Crisis】人工知能は意識を持ちうるか?

1.人工知能とは?

スマイル:人工知能って最近よく聞くけど、そもそも人工知能って何だろうね?

brooock:文字通り人が作った…そもそも知能って何だろう?

スマイル:知能って何だと思う?

broooock:個人的な解釈なら何かの”レスポンス”を出すことが可能なモノ。

スマイル:じゃ、プログラムって何だ?

broooock:僕、あれ知能だと思う。

スマイル:めっちゃ主観的なんだけど知能って人間に知能があると思わせる能力をもっているものを指すんじゃないか。

broooock:要は僕たちが観測可能かどうかって話か。

broooockさんはプログラムは知能だと仰っていましたが私は少し違和感を覚えました。というのもbroooockさんが注目しているのはプログラムという”過程”だと思うのですが私はプログラムが生み出した”結果”のことを知能と呼ぶのではないかと思うのです。プログラムによって算出された結果は知能だけれどそのプログラム自体は人間が生み出した過程ではないかと考えています。どういうことかと言うと例えば何かの事象(某物理エンジンくんの動画を思い浮かべてみてください。わからない方は今すぐ検索してみましょう)を計算するプログラムが出したモノ(答え)を私は知能と呼ぶのではないかと思うのです。つまり、入力されなければ人工知能は知能を持てないのではないでしょうか?

そして、人工知能の知能と人間の知能は本質的には同じだと考えています。人間も何かの行動する時に起きる思考(プログラム)を自発的に行うからです。人工知能は人工的に思考させられるプログラムを組まれた知能だから略して「人工知能」と定義されているのだと思います。

ただ、もちろん枝葉末節は違ってくるでしょう。人間は「疑問」を持ちます。そして「知る」という結果に落ち着く。しかし、そもそも「知る」という行為を定義付け出来るのでしょうか?私は個人の主観に由来すると考えているので出来ないと思っています。

スマイル:結局あらゆる概念は主観的な物ですから。それで人工知能を語るうえでキーパーソンみたいな人がいるんだけどアラン・チューリングって人、知ってる?

broooock:チューリングテスト(※1)の人?

スマイル:まさにそれ。それで人間だと思わせるためにテキスト打つじゃん。返事にわざと時間をかけたりとか。あえてスペル間違えたりとかそういうことやるんだけど。そうすると俺がさっき言った”他人に知性があると思わせる能力”ってことなんだけどそれって本当に”知性”なのかなって。イカサマっていうかただ人間を勘違いさせるだけじゃん。

broooock:人間なら人工知能じゃないって否定しようがないんじゃないかって。「人工知能だ」って言って(言われているモノのこと?)それを「人工知能じゃない」って否定することはできないと思う。例えば意識の定義についての話になるけど人間の世界ってたくさんあるわけじゃん。それは我々が人間だからわかっているからそれら(人間の世界に蔓延る様々な課題とか?)をクリアできるものを作ることは可能だと思うんだよね。でも、それは果たして意識を持っているのかどうかっていうのはまた別問題だよね。だからといって否定はしようがない。

スマイル:意識と知能って別の話じゃない?

broooock:別なのかな?その境界線って何だ?

スマイル:意識って完全に主観的なモノだと思うんだけど。だってチューリングテストで確かめるのは”意識”ではなく”知能”だから。broooockの定義からみるとプログラムって知能はあるけど意識はないじゃん。

broooock:僕は意識あると思うけどね。

※1チューリング・テスト・・・1950年に数学者チューリングがコンピュータに知能があるのか判断するために行った実験のこと。2台のディスプレイを用意し、テストする人はディスプレイに向かって質問を投げかける。画面の向こう側の内、一方は本物の人間がおり、もう1台には人工知能コンピュータが質問を返す。やりとりをいくつかしていって被験者がどちらが人工知能なのか最後までわからなかったらそのコンピュータには知能があると言える。

まぁ結局は騙すも何も知能や意識を語る上で共通することはそれらは全て「人間の主観による思い込み」でしかないということだと思います。

哲学者のエピクテトスはこう言いました。

「記憶しておきなさい。君はこの世界という演劇の1人の役者であると。君の役割はただひとつ。与えられた役を見事演じること」

シェークスピアリア王に出てくる道化師もこれと似たような考え方だったなとふと思いました。リア王が最後まで王様であられる様に道化師も最後まで道化を演じていたのかなと。

話が逸れました。この言葉が示す与えられた役とは例えば教師の前では生徒、親の前では娘や息子、上司の前では部下といったところでしょうか。これらは全て自分が社会の中でどうすごすかという関わり方を示しています。生徒という仮面、部下という仮面。仮面は人格とも言い換えれます。

ところで人格を手に入れるには主に4つの性質が必要です。自分が自分であり、他者は別の個体であると自覚する「主体性」。次に人格が身体を支配しているという認識を持つ「所有性」。発言や行動に統一した脈絡を持つことの「統一性」。モブサイコ100という漫画でも少しネタバレになりますがある人の発言、一人称に統一感が無かったために体が乗っ取られていると気づくシーンがありました。あれは人格が他者の者になってしまっていた状態だったのですね。そして最後に人格は責任を負いうる者だという「責任性」。そしてこれら全ての権利を奪われて失っているのが奴隷状態であるとされていました。

今述べたのはあくまでも個人に由来した人格の話です。ここに社会が関わってくると人格は先程述べた「仮面」とも言えるようになるでしょう。

実際に知能があろうと無かろうと、知能があることを他人に見せなければ、知能がないと断定されてしまいます。だから人間もコンピュータやAIも演じるしかない。意識と知能の境界線は案外曖昧なのでしょうね。

2.人工知能は意識を持つか?

スマイル:broooockの案からすると持てる。

broooock:というより持てないと言うことができない。

スマイル:まず意識とは何だ?

broooock:意識とは”状態”のことを指していると思っていて。生物として持っている機能とかではなく、状態。端的に言うと自分が何をしているのかをいかなる手段を通してでも知覚することができる状態だと思う。でも、我々寝ている時って意識ないって言うじゃん。つまり、人間っていうのはそもそも意識ある状態とない状態があるってわけで。そうしたらつまり意識が一回もなかった人間も存在してると思うんだよ。生物であっても意識が全くないモノも存在している。そこで人工知能との差は何かって言ったらそれを我々が観測できるかに尽きちゃうから。機械的に言えば、例えば自分があるプログラムを作動させてその記録が残っている状態それすなわち”意識”だと思う。

スマイル:記録が残っている状態?その記録ってどういう記録なの?

broooock:あるプログラムを施行しました。成功しました。って言うのが意識。

スマイル:それってさ”記憶”じゃないの?何かしましたっていう過去についての記録じゃん。

broooock:でも意識もそうじゃない?だって何かをしたいという感情は僕たちが観測して初めてそこにあるじゃん。

今、PCでこのブログを書いていたんですけど「〇〇という定義」と「〇〇と言うことはできない」と「という」って言葉について二つの表現を使っていたんですよ。「という」と「と言う」私は意味を使い分けて書いていました(ちょっとわかんないなという方は一回読み返してみるといいかもしれません!)。

私は自分が使いたい言葉の文脈に沿って使い分けていたのですがPCだとその判別ができませんでした。「〇〇という定義」と表記したかったのに「〇〇と言う定義」みたいに誤変換されました。これはなぜかと言うとPCには”学習能力”があっても”意識”はないことも産物なんじゃないかって思います。

確かにPCには学習能力があって誤変換してしまった後はきちんと修正してくれます。しかし、言葉を文脈で判断するということが出来ないのです。なぜなら自身で文章を書くという行為を”体験”したことがないからです。

ゴンドラ猫という実験をご存知でしょうか?生後間もない2匹の猫の内、1匹をゴンドラの中に乗せ、1匹をある程度自由に動ける状態にします。2匹はそれぞれ互いに繋がれた状態で1日3時間装置の中に入れられます。ゴンドラは自分の意思で動ける猫と連動し、点対称な動きをする仕掛けになっています。つまり、2匹の猫が見ている景色は同じであり、自分の意思で動けるか否かという違いしかありません。

この装置から解放された2匹に一連の視覚テストを行うと驚くべき事実が明らかになりました。自らの意思で動ける猫は装置から出たあとも視覚機能が正常でした。しかし、ゴンドラの猫は物を見ようとすることは出来たものの、空間認識能力が正常に作動せず、障害物にぶつかったり、リーチが不適切だったのです。つまり、私達は自ら能動的に働きかけを行って初めて世界を認識することができる、ということなのです。

broooockさんの意見に則って意識を説明してみるとプログラムを試行して成功した記録が意識となります。しかし、それだとスマイルさんの指摘の様に記憶でしかありません。私はあくまでも意識の機能の中に記憶が包括されているだけだと思います。

人間に限ったことではないのかもしれませんが意識には普通の意識と無意識があります。普通の意識には先程述べたように主体的に動くことで得られる記憶であったり認識能力があります。無意識には生命を維持するための(例えば心臓を自発的に操れはしませんよね)機能であったりついついやってしまう習慣があるでしょう。

今挙げた以外にも意識には他にも様々な機能が隠されていると思います。それを全て述べることは不可能(証明されてないですし)なので控えますがあくまでも今回は記憶という機能に焦点を合わせて語っていると思っておふたりの対話を読んでみるのもいいかもしれません。

最近は自ら文章を書くAIが出てきました。AIが小説を書くなんて面白いですね。しかし、それは主体的に思考して書いているわけではなく膨大な書籍を記録し、パターンを分析して作り上げるものです。あくまでその能力に特化したAIなのであって言い換えると後に出てくるのですが弱いAI(人間の知能の一部を代替する機械)に過ぎないのではないかと言えるでしょう。

スマイル:寝ているときは何かやったという記憶が自分にないからそれは意識が無いってこと?

broooock:そうそう。

スマイル:それちょっとわかる気がするんだよね。家出るじゃん。鍵締めるじゃん。でも、毎回家出る時に自分鍵締めたって覚えてる?俺マジで無意識で鍵締めてるんだよね。

broooock:専門用語的なのでオートパイロットって言うんだけど。どれだけ潜在意識の領域にその行為があるかっていう話なんだけどね。そこもひょっとして意識?

スマイル:無意識にしたことを覚えていなんだよね。

broooock:だからこそ無意識って言うんだけど。

スマイル:意識は記憶なのか。

broooock:ある程度はイコールだと思う。

スマイル:記録が残るものに意識がある。コンピュータープログラムも意識があると?

broooock:うん。

スマイル:なるほど。そうすると今、論理的に考えると意識=記憶じゃんってなったけど。記憶と考えずに例えば意識って自我的なさ、主観って言うの?そういうイメージ無い?

broooock:それは別問題だと思っていて。所謂自己意識の話だよね。ミラーテスト(※2)って知ってる?鏡に映った自分を見て動物が「自分だ!」って認識したと人間が思えたらクリアなんだけど。それって結局人間側が思ったらって話な訳で。定義になり得るモノなのか、という意味で別問題だと思う。例えば生物でもそれをクリアしていないモノがあるから。

スマイル:それをクリアしていないモノは、何?

broooock:自己意識はない。

スマイル:鏡に映っているモノを見て自分だって認識できたなら自分と自分じゃない区別はついているってこと?

broooock:そうそうそうそうそう。それがつかないでも所謂覚醒状態でいるってことは意識とはまた別の話かなって思っている。

スマイル:じゃあ、覚醒状態でいてもその時の記憶がなければ意識が無いと?

broooock:そうね。例えば植物人間とか。

スマイル:そうすると意識が過去の記録に左右されるってこと?

broooock:間違いない。

スマイル:でも意識って言うとリアルタイムで実感しているって感じあるけどな。

broooock:リアルタイムで実感していることなんてまず無いんじゃない?

※2ミラーテスト・・・1970年に心理学者のゴードン・ギャラップJr.が開発した実験で動物に視覚的な自己認知や自己認識の能力があるかどうかを調べるために作られた。最近だとホンソメワケベラという魚が鏡に映った姿を自分だと認識し、話題を呼んだ。

今回の人工知能という話から少し逸れますが意識について語ろうとすると「死」と関連づけられるのではないかと考えています。

突然ですが以前私は「死」には2種類あると不老不死の記事(ワイテルズ紹介はしてない不老不死について - 言いたいことを言ってるだけ)で述べました。「肉体的な死」と「脳死」ですね。つまり、極論言ってしまえば無意識すら無くなった状態は「死んでいる」と言えてしまうのではないでしょうか。寝ている時間は意識がありません。ですが、寝ている時は寝返りを打つ、歯ぎしりをする、いびきをかくなど無意識下でも普通に行動しています。意識は存在しているが目が覚めている状態ではない状態ですね。この状態でも心臓は普通に動くし、脳は働いています。ということはつまり、無意識を働かせれない状態のことを「死」と呼ぶのではないでしょうか。

私の考えとして意識とは一種の「プログラム」だと捉えています。

人に当てはめて考えてみましょう。人の生き方は様々なんて言葉で言い表せない程多様です。その中で自分と100%と同じ行動を、同じ好みを……なんて人に出会ったでしょうか。

こんな思考実験があります。双子のクローンの赤ちゃんを作り、全く同じ環境と刺激を与える。もし、脳がただの機械ならば赤ちゃん達は寸分違わず同じ動きをするでしょうし、心や意思があるならそれぞれ違う行動をするでしょう。

これの答えは至ってシンプルです。

「人間は完全に同じ環境を作り出すことは不可能なため、実験は不可能」

このことからも分かるように実験できない事物については何も証明できません。逆に言えば実験してみないと何もわからないのです。現実にわからないものを「こうであるはずだ!」と断言出来るのは個人の心の内でしかない。逆に言えば自分自身はその「実験できないこと」についてこう思う・仮定しているという認識を確認出来るとも言えます。

つまり、その人が生きてきた環境やそこで身につけてきた習慣云々を全て脳がプログラムしてきたモノのことを意識と呼ぶのだと思います。そのため、人工知能には(まだ)意識はないと私は考えています。

そして、broooockさんの言う通り覚醒状態でいることと意識があることは別物だと思います。

例えばアルツハイマー病。アルツハイマー病の特徴は、その症状が進行するに従って「自己感」が喪失します。単に記憶を喪失するだけでなく今まで自分がどう生きてきてどう生きようとしているのかという過去と未来を失ってしまいます。そして、最終的には「今」「ここ」にいるという現在の意識すらも失ってしまうのです。

つまり、意識して行っている行動も実はいつの間にか無意識下の習慣になり、最終的には行えなくなる可能性があるのです。ならば後述する哲学的ゾンビも存在するということを認めなくてはいけないのでしょうね。

3.人工知能は心を持ちうるか?

broooock: 心とは何かだね。人間も心を持っているとは思わないけどね。

スマイル:例えばある男の子が顔をゆがめて涙を流していたらその子は悲しんでいるのか、みたいな。心って感情的な感じでいいのかな?

broooock: ”感情”って結構、機能的な話だけど”心”は解釈に近くない?それをただ心と呼んでいるだけ。果たして実体はあるのか。

スマイル:そもそもただの概念。

broooock: 比喩表現みたいな。

スマイル:なるほど。じゃあ、心を持っている奴なんて誰もいないと。

broooock: そうなるね。

正確に言うと心があると証明できないということだと思います。言ってしまえば心は自分以外に必要なものではありません。結局は主体的に体を動かして世界を感知するのは自分でしかないからです。この事象を裏付ける有名な思考実験で「哲学的ゾンビ」があります。哲学的ゾンビとは見た目や行動は人間と全く同じですが意識が全くない状態のことです。

例えば5人のグループがいます。その5人を同じマンションの同じ階に住まわせるとしましょう。数日交流を深めたあとに実はこの中に1人だけ哲学的ゾンビがいると知らせます。しかし、ここでそいつが哲学的ゾンビだと当てられるわけが無いのです。理由は2つあります。

1つ目は他人の心の存在を確かめる術なんか無い、ということです。これは犬や猫、ロボットや宇宙人、石や鉛筆にも同じことが言えます。人間と同じ様に食べて働いてと生活をしている訳なので見抜けることは難しいでしょう。そもそも他人の頭の中を覗けない様に自分には心があると証明することは誰にもできません。例え心があると自認していてもそれはあくまでも自分の意識下での認識に過ぎないのです。

2つ目はそもそも哲学的ゾンビとして作られたそいつ自身が自分が哲学的ゾンビだと認識していないからです。どういうことかというと第0弾(自意識がクライシス迷子 - 言いたいことを言ってるだけ)でお話したクオリアが関係してきます。

クオリアの例で例えば見ている色が同じでも他人と全く同じ色を見ていると証明することは出来ないと述べました。つまるところ言葉の定義が同じであるならばその色の質感が他者と違くても会話が通じてしまうのです。会話が通じているからと言って両者が同じものを感じているとは限らないということですね。なので「言葉の定義」が合致すれば自分には心がないと気づくことがないのです。なぜなら他者と見ているものや感覚は同じなのかと比較できないからです。従って5人の中で哲学的ゾンビを当てる人狼ゲームが始まったとしてもそもそも自分自身が人狼であるという事実を知らないため議論は永遠に終わらないという訳なのです。

では、人間には心を証明する術がないとわかったところで心、つまり人間の意識はどこにあるのでしょうか。それもわかりません。よく聞くのは「脳」でしょうか。人間の意識とは脳という機械によって発生しているだけと考えても心の存在を証明する術にはなりません。

例えば右脳と左脳を繋ぐ脳梁を切断する手術があります。これはてんかんという脳の神経細胞の異常放電によってけいれんを起こしてしまう障害をなおすための手術です。

右脳と左脳の接続を切るということはそれぞれの脳で認識していた情報がそれぞれの脳に伝播しないということです。実際に右側にコップという文字を出し、「左手(右脳が支配する手)で今見た物を手に取ってください」と指示をすると手探りでコップをとるらしいです。しかし、この後に「何を取ればいいかわかりましたか?」と聞くと「何もわからなかった」と答えました。

文字を左側だけに映したとしても機能としては同じ様な結果が出たそうです。結局の所、脳梁を切って右脳と左脳を切断してもそれぞれの脳は機能していた訳です。仮に魂があり、かつ分割したり、融合したりしない固定のものだとして魂が一方の脳にしかいないとするならばもう一方は哲学的ゾンビ、意識が全くない状態だったと言うしかありません。

この脳分割問題を鑑みて私達は心の存在を認めるなら同時に心がない哲学的ゾンビの存在も認めなければならなくなるのです。(まあ、私が以前おとぎ話として言った魂気体説だったらこれ説明ついちゃう気がするんですけどね笑)

4.人工知能と人間の違いは?

スマイル:今、話していると人工知能も意識は持っていると。自意識を持っているかは人間がそう思うかどうかってことでしょ?で、心はどっちとも持っていないと。じゃあ、人工知能と人間って何が違うのでしょうか?

broooock:どう違うかって言われるとそれって人間と植物の何が違うのかっていう問いに近い。それは同じところもあるし、違う所もある。例えば、所謂器官みたいなものは必要ないだろうし。でも、物事を記録する媒体は必要。それは人間にもあるし、みたいな。

スマイル:植物も情報を管理しそう。だったらbroooockチューリングテストをやったとして今、通用しそうな人工知能と人間を見分けられる自信はある?

broooock:無いね。一切ない。

スマイル:そうすると知能面で言ったら人間と人工知能はもう…でも同等とは言えないよね。人工知能にできないことはあるじゃん。

broooock:人間と人工知能の最大の違いは「人間が人工知能を作っている」点にあると思う。例えばチューリングテストも人間側が考えたテストじゃん。そのテストに向けて人工知能を発達させることも可能。

スマイル:真の知能じゃなくて人間に知能があると思わせることを目的にしてる。逆に言えばそれが知能なんだよって思わせるようになる。

broooock:言葉は人間が定義しているからね。

スマイル:確かに言われてみればそうなんだけどさ。なんか騙されている感があるというか。その人間に知能があると思わせているから知能なんだって言うけどじゃあそいつが人間が期待している普遍的な知能として振る舞えるかって言ったらそんなことないじゃん。それって要は人間に知能があると思わせることに特化しているわけで。例えば人間に知能あるというと言葉を理解したりとか動物描いたりとか。

broooock:それは今も可能じゃん。そういう人工知能あるじゃん。それはもちろん人間がそういう機能付けたいっていう背景があるけどね。

スマイル:そうなると人間と人工知能の違いなんて。

broooock:そこを比較すること自体があまり意味のない事なんじゃないか。人間と机の違いは、みたいな問いに近い。

スマイル:でも、机って物を置くためにあるじゃん?だからそれと人間の違いを比較しても意味がないけど。人工知能って人間に近づくために作られているわけじゃん?だったらそういう意味に関しては人間との違いを把握しようとすることはあながち的外れではないと思うんだけど。

人間に近づけるために人工知能はある。本当にそうでしょうか?

アレテーという言葉を知っていますか?アレテーとはソクラテスが説いた概念で一般的には物に備わっている優秀性とその善さを意味します。しかし、ソクラテスの言うアレテーは人間の人間としての優秀性、その善さ。即ち「徳」を指しています。そして我々はこの人間の「徳」について何も知らない、何も考えていない。まずはその無知を自覚すること、それがかの有名な「無知の知」と言われています。

話が逸れてしまいましたね。一般的な概念に則ってアレテーを説明すると例えばナイフならよく切れることであったり、机ならたくさん物を置けることであったり、厳密には違うかもしれませんがその物の特性を指すと言ってもいいでしょう。人間のアレテーには様々な説があるので一概にこれだ、とは言えません。では、人工知能のアレテーとは一体なんでしょう?

1927年、イギリスで「エリック」という人型ロボットが発表されました。エリックは立ち上がって左右を見渡し、手を上げ下げし、人間の言葉を喋れたそうです。最も人間の言葉を話すと言っても人間が喋った言葉を出力する単なるスピーカーの役割でしかありませんでしたが。エリックの誕生によりロボットブームが始まりました。ただ、人間の形状や動作を真似ただけのロボットに人々は徐々に見慣れてしまいました。しまいには当時の新聞にこんな事が掲載されてしまいました。

現代機械文明で必要とされているのは、人間が持たない力、人間にない動作スピード、人間にない敏感さ、人間にない緻密さなのであり、何が悲しくて人間のようなロボットを作る必要があるのか
引用元:昭和7年朝日年鑑 科学知識欄 人造人間

今やそれぞれの機能に特化した所謂弱いAIはどんどん開発されています。しかし、包括的な意味で言う人工知能の「存在理由」は一体なんでしょうね?少なくとも人間に由来しているというだけに過ぎないのではないかと思います。

broooock:つまり、人工知能のあるべき姿は人間とそっくりなモノってこと?

スマイル:そうだと思う。

broooock:それで考えていたのがある人の人生を完璧にコピーした人工知能を作ってそれらしかいない世界を作ったらそれって僕たちの世界と何が違うんだろう?

スマイル:世界ってどこにいるの?

broooock:もう一個地球があると仮定して。そこに住む人間は全てこっちの世界にいる人間を完全にコピーしたモノ。例えば何時に起きて何をし、どういう発言をするかって記録することは可能じゃん。で、そういう存在しかいない地球があったとして。その地球とうちらの地球を判別する方法はあるのか?僕は無いと思うんだよね。

スマイル:こういうのってチューリングテストから始まっていろいろAIがどうとか言ったけどAIの最先端から言うとAIには2種類あって弱いAIと強いAIがあるって聞いたことある?弱いAIは今ある程度実現しているAI。ゲームとかでさ、味方キャラはAIが操作しますみたいなのあるじゃん。そいつらはHP満タンの味方に回復魔法打たないとかさ。知的な行動と言えばそうじゃん。チューリングテストのAIも弱いAIなんだよ。知性がある様な振る舞いをするっていうツール的な行動をしている。けど、強いAIってのはマジ知能みたいな、ほぼ人間みたいな。そこにはデカい壁があるから。チューリングテストでAIが人間に知性があると思わせているというのとは違くてそれとは別の段階の知性があるからAIと人間は全然違うよっていう話があったと思うけど。弱いAIは人間が知性あると思っても全然違いますよ、みたいな。となるとbroooockがさっき言った別の地球にっていうのとそれは強いAIじゃないと無理だよね。

broooock:要はそのレベルの事が出来たらさらに強いAIという概念が出てくると思うんだよね。

スマイル:どこに線を引くかの問題か。

broooock:そう。逆に言えばある日スマイルが突然AIになったとして所謂真のAIになったとして。僕はそれを気付く可能性は存在しえないと思うんだよね。

スマイル:弱いAIだったら気づけると思う?全然知能はないけどbroooockに俺はスマイルだと勘違いさせることができるAI。別に人間みたいにクリエイティブなことはできないし他の事も出来ないけどbroooockに「こいつ知性あるスマイルじゃん」って思わせることができるAI。それとあらゆる状態で人間と同じことができるAIって違うと思わない?

broooock:その両方の概念を知りえる存在としては違うけど観測者としては違うと言い切れないと思う。

スマイル:知能がどうとかうるせぇ主観の問題じゃんけって話になるよね。

broooock:今のこの会話もさ、こういう発言を全て予想して組んだプログラムっていうのと本当のスマイルっていう違いを僕は認識しえないから。

スマイル:結局知能があるかなんて主観じゃん。

broooock:僕たちが人間としての限定的な観測を超越できればワンチャンあるかもしれない。

スマイル:俺たちが人間である限りは全部「お前がそう思えばそうなんだろ」状態ってこと。

broooock:そう思うね。

スマイル:ここでもう1個トピックがあるんだけどbroooock中国語理解している?(broooockさんは日本と中国のハーフです)

broooock:理解してる。

スマイル:あるところに密閉された部屋があるとするんだけど。そこに中国語を全く知らない人を入れるの。でも、その部屋の中には中国語に関する最新のあらゆる情報が詰まってて。で、入った人が英語がわかればわかるように中国語の全てが理解できる情報が書かれているわけ。これが中国語の部屋っていう話なんだけど。そこでその部屋に外から手紙が来るんですよ。中国語で書かれた手紙が。

broooock:中の奴が中国語できる・わかるかどうかって話ね。

スマイル:それでその外からの紙を見るじゃん。それを見た中の被験者がその部屋で得られるあらゆる中国語の知識を動員して中国語で手紙を返すんだよ。そうすると返ってきた手紙を見て外にいる最初に中国語で手紙を出した人は「あ、この中にいる人は中国語を理解しているな」って思うわけよ。でも、それって別にその被験者はただその部屋の情報に従って全く意味が分からないけど書かれたことに対して、要は入力に対して出力しただけじゃん。でも外から見たら向こうはわかったように見えるわけじゃん。自分が出したら自然に返ってくるわけだから。でも、それって中国語理解したことになるの?これが中国語の部屋っていうことなんだけど。そうなるとbroooockは今、中国語理解してるっていうけどそれ本当に理解しているのか。broooockの頭が中国語の部屋なんじゃないか。

broooock:それに対しても僕はわからないことがあって。人間って例えばSFとかでさ人間にチップをつけるとかあるじゃん。そういう存在をサイバネティックスって言うらしいんだけど。要は我々もそうだと思っていて。なんでかって言ったらそもそも中国語の部屋の状況設定が完全にリアルの我々じゃん。例えばその部屋っていうのGoogleであるしYouTube であるしTwitterである。で、果たしてある人が何かを理解しているのかっていうのを判定するためには限定的な条件を作らないといけないじゃん。

スマイル:カンニングできないとかね。

broooock:部屋に入れている時点でそこの観測はできないわけだから。判定のしようがない。

スマイル:そうしたら俺もbroooockも理解しているっていうけど全然情報があっていなくて頭にマイクロチップを埋め込んで中国語を聞いた音をチップが処理してくれてそれでわかって。ただプログラムとかコンピューターの指示に従って発生してるだけなんじゃないかって思っちゃうよね。そうするとbroooockは中国語を理解していないということになる。

broooock:それをどう呼ぶかってことだよね。もしスマイルがそれを違うというなら違うっていうだけの話だけど。要は僕が脳にチップを入れていないかを証明できるかどうかってことだよね。で、その結論を言うならあらゆる検査をする。

スマイル:人間が今の技術じゃ認識できないなんらかの方法で...って言ったらきりがない。そもそも理解するってなんだというのがこの思考実験の目的だと思うんだよね。そうなると結局俺もさ、理解していると思えば理解しているって話になるけど。

broooock:そこはパラダイムシフトが起き得る可能性があると思う。今までの理解というのはそれこそいかに脳内に知識があるかっていう点だと思うけど今後はその知識をいかに効率的に引き出すかという点にあると思う。例えばテストだったらもうGoogle使っていいよみたいな。

スマイル:オンラインテストで外接できるのは当たり前みたいな?

broooock:だって本がない状態で何かに取り組むことなんてまずないじゃん。

スマイル:これからオンライン・インターネットの知識全てが自分の脳の一部のように使えるようになると。だから理解の概念も変わってくると。

broooock:はい、そう思います。

まとめ

Q.人工知能とはなんだ?
A.人間が知能だと思ったモノが知能(明確に定義できない)


人工知能と言うと私はRDという人工知能を思い出します。私が敬愛しているはやみねかおる先生の作品「怪盗クイーンシリーズ」に出てくる人工知能のキャラクターです。どうしても人工知能という言葉にはロマンを感じずにはいられません。

人工知能と人間の違いを述べることはナンセンスであると私も思うのですが強いて言うなら「与えることが出来るのか」という所にあるのかなと思います。人間は人工知能にあれだこれだと指示を与えることが可能ですが人工知能は今の所、それを処理することしかできません。

人工知能は将来的に人間を超えると言われています。2045年問題とかシンギュラリティ云々のあれで。確かに「知能」に特化すれば越えられてしまうでしょう。現に今でも「記憶」という分野ではもう負けています。しかし、「賢さ」という点ではどうでしょうか。

賢さという点でよく聞くのはIQテストです。しかしそれも結局の所、その技能に特化した者程、高いスコアが出ます。

以前、デスノートの新作読み切りを読んだ時のことです。次なるデスノートの所有者としてある少年が選ばれました。理由は「少年が賢いから」。しかし、自分は賢い訳では無いと少年は否定しました。というのも少年はIQテストで高い数値を記録したのですがそれは少年がIQテストを解くことを趣味としていたからだったのです。つまり、少年は繰り返し解くことでIQテストの解法パターンを身につけただけに過ぎませんでした。

そもそも私は賢さとはある側面から見たその人が他に与える影響や効用の種類の中に「賢さ」というものが含まれているのだと考えています。例えば中学校・高校の先生は自分の専門分野を「教えれる」ぐらいには知識を身につけています。それはその人の知識があるという点では賢いと言えるでしょう。ですが、自分が理解してても教え方が下手だったらその職業としては賢いと言えるでしょうか?スポーツにも戦略があるようにただ体を動かしていればいいという訳では無い。プレー中の動きに「賢さ」が出ていいプレーになるのです。

もちろん、生まれながらに天才はいます。1発で仕組みを理解する人、やたらと人間関係の要領がいい人、様々です。私から見たら2人とも「賢い」と思うのですがそうは思わない方だっていらっしゃいます。結局は、「賢さ」は見る人によって違うのでしょう。今まで人工知能というより「人」に着目して話を進めてしまったのですがこれは人工知能や機械にも当てはめられるのではないでしょうか。

機械は学習しません。何かの工場を思い浮かべてくれればいいのですが何らかの工程を行うためだけに作られた物です。つまり、同じ行動を行うように定められているだけです。一方、人工知能は学習します。例えば私がAさんに声をかけたがAさんはレスポンスを返さなかったとしましょう。もし私が人間だったら何らかの事情(私のことが嫌いだとか手が空いていなかったとか)があって返事をしなかったのだろうと察することが出来ます。しかし、私が人工知能だったら「Aさんは私にはレスポンスを返さない」ということを記録し、データとして蓄積をするのみです。人工知能は果たして「どうして返事を返さなかったのか?」と疑問に持つでしょうか。

人工知能は知識を吸収し、記録することが出来ます。しかし、何をどう処理をすればいいのか常に指示を待っている状態が今の所の人工知能の限界です。

ただ、難しいことに機械の定義というのも時代と共に変わっています。例えばコンピュータがそれです。開発当初にはプログラムを組む為の「機械」でありましたが今では利用者の誤字を変換したり、好みを学習したりと「人工知能」と呼んでも差支えのない代物になっています。まぁ、この辺の分野は全く詳しくないので実際の所は知りませんが。

以上を踏まえて結局の所、今はまだ人間と人工知能は対等でなくて飽くまでも人工知能は人間の道具でしかないのかなと私は思います。

~独り言~
少し前に心象スケッチ(心象スケッチ - 言いたいことを言ってるだけ)というタイトルの記事を出したんですけど。宮沢賢治が「春と修羅」のジャンルを心象スケッチと呼んでいたというエピソードを知りました。詩集と呼ばれることが嫌で心象スケッチと言っていたそうです。

私が記事を書いた時、そんなエピソード知らずにあのタイトルをつけたので驚きました。と、同時に少しの縁を感じました。実は私の大好きなバンドの1つであるUNISON SQUARE GARDEN(以下、ユニゾン)のボーカル・斎藤宏介氏が「ハルシュラ」という歌を歌っているんですよ。ハルシュラはユニゾンの楽曲ではなくSchroeder-Headzという渡辺シュンスケ氏の音楽プロジェクト(livetuneのkzさんみたいに1人で運営してる)のトラックの1つで斎藤宏介氏が歌詞を乗せて歌った楽曲です。ぜひ、聴いてみてください。探せばすぐにみつかりますよ!(Spotifyとかで)

こんな風に1つの作品を巡って色んな縁が横たわっているのだなと思うと本の世界も面白いと思いませんか?まぁ、私は春と修羅読んだことがないのですがね笑。これを機に読んでみたいなと思います。

~参考サイト~
Wikipedia
〇NATIONAL GEOGRAPHIC
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/091300402/?ST=m_news

~参考資料~
〇松田雄馬人工知能はなぜ椅子に座れないのか: 情報化社会における「知」と「生命」」新潮選書、2018年

〇飲茶「哲学的な何か、あと科学とか」二見文庫、2017
哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

  • 作者:飲茶
  • 発売日: 2017/04/03
  • メディア: 文庫
雨瀬シオリ「ここは今から倫理です。1」2017年、「ここは今から倫理です。2」2018年、共に集英社