正直これ上手く書けるかわかんないんですけど一応このブログ記事(ワイテルズ紹介はしてない不老不死について - 言いたいことを言ってるだけ)の第2弾みたいなものです。詳しい説明は前回のを読んでください。
前回と同じ注意書きだけど一応注意のみ前回の記事のものを抜粋しておくので絶対守ってください。
⚠️こちらのブログ記事にはネタバレが多く含まれております。ほぼネタバレです。その為、一度動画を観てからこの記事を読むことをおすすめします。何なら記事を読んだ後に再度視聴、そのままゲーム実況動画に移動し沼ることを強く推奨しています。記事には戻ってこなくて結構です。本ブログはアカデミックな裏付けがされておらず、全て自分の妄想である可能性が大いにあります。
本記事はワイテルズさんと一切関係がございません。従って動画のコメント欄等、関係の無い所でこちらのことを書くのは辞めてください。また、他掲示板等にこのブログのURLを貼り付ける及びその他迷惑行為になる真似はやめてください。何か問題が発生した場合は本記事のコメント欄にお寄せ下さい。
それでは、どうぞ。
さて、今回紹介するのは「【Qualia Crisis】科学を哲学する;我々の信念を覆すパラダイムシフトとは!?」という動画です。
タイトルにもあるように今回のテーマは「科学哲学」です。(文系なのにこれ書いてもいいのかって今でも迷ってます)
前回と同じように両者の意見をざっとまとめながら自分の意見をちょこちょこ挟むスタイルで行きます。(以下敬称略)
Q.そもそも「科学哲学」とは?
1.科学は”絶対”なのか?
きりやん:科学って一般的に「絶対的なもの」だと認識されている。しかし、本当に「絶対的」なのかどうかを考えるのが科学哲学。科学っていろいろあるけどまずは物理学の観点から考えてみよう。物理ってものの動きを予測するイメージがあると思う。そういうものの動きを予測するって物理学の中でも古典力学とかニュートン力学(※1)と呼ばれている分野だ。例えばもしあらゆる物の理を計算できる能力や全ての物理法則を知っていて、宇宙全体の位置と掛かっている力を知っているとして、1秒後のこの世界の全ての物体の位置と力、わかるかな?
スマイル:わかるんじゃない?
きりやん:そう。全ての法則に当てはめて計算したらわかっちゃうよね?っていうのがラプラスの悪魔っていう考え方なんだよね。
※1古典力学とは量子力学(※2)と対をなす学問でマクロなモノの動き(ボールの軌道や地球の公転など)を研究する。
一方、ニュートン力学とはアイザック・ニュートンが確立したモノの運動法則。慣性の法則、運動方程式(モノに力が加わるとその速度が上昇し、加速度はモノが受ける力に比例し、質量と逆比例する)、作用・反作用の法則が挙げられる。
※2量子力学とは原子や素粒子などミクロなモノの動きについて研究する学問。量子力学は特に波としての特性に注目し、波の形や運動について記述した学問。ちなみに、後述する内容のためにこの前提を覚えて読み進めて欲しいが「粒子には広がりがなく、波は広がって運動する」どういうことかというと粒子は点のようなもので、特定の場所に集中し、どんなに大きな粒子でもその大きさ以上にはならない。一方、波は例えばバイオリンの様に1箇所を抑えて引くとその抑えている節で音の高さが決まる。その音の波は弦全体に広がっているので1箇所に留まっていない。この様に相反する関係性なのだ。
さぁ、やって参りましたね。科学哲学。皆さんは「科学」と「哲学」ってあまり繋がりがないイメージを持つ方が多いのではないでしょうか?私自身も哲学と言えば先日の「不死」や「世界とは?」など所謂形而上的な学問だと思っていました。つまり、頭の中でしか考えられずに実験とかできないもの。思想とかそういうイメージが強かったです。しかし、今回は私達の日常と密接している「科学」が「哲学」されるのです。どうなっていくのか、楽しみですね!まず最初のテーマ「ラプラスの悪魔」少し前のミステリー小説にこんなタイトルの本がありましたが詳しく見ていきたいですね。
この時点で捕捉書きに結構使っちゃったので早速進めていきましょう!
2.ラプラスの悪魔
スマイル:この世界のあらゆる物理現象を知っている存在だとしてその未来全部わかっちゃう。
きりやん:そう。でもそんなのおかしいよね。
スマイル:人類がまだ発見していない物理法則っていうのが存在したら予想できなくない?
きりやん:そういうのも含めてラプラスの悪魔って本当にいるのかって言われているんだけど。言い切るのも違うけど今はいないと言われてるんだよね。というのも皆さん聞いたことがある量子力学が関係してくる。そもそも量子って何?って話に移るんだけど。量子とはすごいちっちゃい粒なんだけどでも量子ってさっきの古典力学の法則には当てはまらないことがある。
スマイル:なんで?
きりやん:それはわからない。量子力学が今、研究しているところなんじゃないの?簡単に言うといろんなことが確定してないんだ。量子力学の基本的な考えで不確定性原理っていう原理があるんだけどこれは量子の運動量と位置が定まらないってことなんだ。
スマイル:なんで定まらないの?わかるんじゃね?
きりやん:それは難しい計算が出てくるからすぐに説明できないけど興味のある人は調べてみると面白いかもしれない。とにかく定まらないってことは式に表されているんだよね。さっきのラプラスの悪魔に戻るけどラプラスの悪魔って位置と力が全部わかってれば次の動きがわかるって話じゃん。でも、運動量と位置は定まらないって証明されちゃったらそもそも知ることが不可能になっちゃったじゃん。
スマイル:でも、知ろうと思えば知れるでしょ?
きりやん:知れるのかもしれない。そこも不確定。
スマイル:既に”知れない”ってことが証明されちゃったの?
きりやん:今の議論では証明され(ている?)
スマイル:じゃあ、悪魔はいないじゃん。
きりやん:いないかもしれない。
スマイル:でも、量子って超ちっちゃい物質なわけじゃん。一応現実の物質だけど。リンゴとかって古典力学通用するわけでしょ?リンゴってちっちゃい量子が集まったのがリンゴなんじゃないの?量子は古典力学が通用しないこともあるけどリンゴは量子がいっぱい集まってできたものじゃないの?それって同じものだと思うけどね。
きりやん:量子だとしたら同じじゃない?不確定性原理が通用するってことは。
スマイル:リンゴ自体の運動はそれ自体もわからないのか。
きりやん:わからないんじゃない?
スマイル:今までは古典力学がすべてのものに通用すると思われていたけど実は量子ってものには通用しない(こともある)ってことはわかった。でも、リンゴって量子がいっぱいくっついてできたものじゃないのか?そもそも量子ってなんだ?
きりやん:量子力学の世界は難しすぎる。
正直、自分の認識がこれであっているのかわからないのですがスマイルさんの疑問について自分なりに調べてみました。間違っているならコメント欄で教えてほしいです。量子で構成されているはずのリンゴにはなぜ、古典力学が通用するのか、それは”物質波”が関係してきます。
”物質波”について説明する前に”光子”について説明させてください。
突然なんですけど皆さん、光ってなんだと思いますか?先程説明した通り、粒子には広がりがなく、波は広がって運動していますね。例えば、自身の影を見てみてください。影の輪郭を見てみるとぼやぼやしてますよね?これは光が貴方の影の裏側にまで回り込んでいるからです。これは波が持つ性質の一つで「回折」と呼ばれる現象なのです。じゃ、光は波なのかと言われるとそうとも言えない。皆さんは図工や美術の授業で「いろんな色を混ぜると最終的に白になる」という話は聞いたことがあるでしょうか?実は光もその説が当てはまるのです。光は元々「白」だと捉えられていたのですが実は色んな色が混ざって最終的に光となっている。そしてその光の色によって屈折率が違うという実験結果が出ました。また、光は真っ直ぐ進むことから光は粒子なのではないかとも言われていました。
だったら、光は粒子じゃないかと思いますよね?実はそうじゃないんですよ。20世紀頃まで様々な実験を繰り返してきた結果、あの有名なアインシュタインがある仮説を打ち立てたんですね。
「光は粒子であり、波である」
どういうことか説明します。皆さん、頭の中で池に石を投げてみてください。そうすると投げられた石の反動で水がぴちゃんと跳ねますね。光も同じで強い光が物質に当たるとその物質の中の電子が外に飛び出します。このことを光電効果と言います。その光と物質で起こる現象は目に見えない粒子が媒介していると言われているのですがそれが光子です。すなわち強い光は光子がたくさんある光のことだとアインシュタインは考えました。
さて、光子の原理がわかった所で”物質波”とは一体なんだというお話です。光は粒子であり、波である。そして光は光子というモノがありそれがたくさんあればあるほど強い光になります。しかし、20世紀頃の物理学者ド・ブロイがとんでもない仮説を思いつくんですよ。
「波と思われていた光に粒子としての性質が備わっているなら、身の回りのものを構成する粒子にも、逆に波としての性質が備わっている」
どういうことかというと粒子として私達が見ているものは、その運動量から計算される波長を持った波でもあるというのです。物は粒子で構成されており、更には波のような広がりを持つと言っているのです。
さて、なぜリンゴには古典力学も通用するのか。勘が良い方はお気づきでしょう。モノには粒子だけでなく波の特徴も併せ持っているから、なんじゃないかなって思います。(繰り返し言いますけどアカデミックな裏付けはされておりません)
そもそも「科学」とは、人間の知りうる世界のほんの一部を一定のやり方に従って認識するという「謙虚」な営みです。そこに100%事象を理解するという驕った行為は認められないと思います。生気論的生物学(※3)の観点からも全ての現象に理由付けをすることは可能ではないとしています。ですので私は人間はラプラスの悪魔にはなり得ない、という考えです。
※3生気論的生物学とは、生命現象は物理化学的法則からは説明できない独自の原理をもつものであるから、物理化学的現象に還元できないということを想定する立場の総称である。この様な生命現象の原因としては、形成力や生命力、エンテレヒーなどと呼ばれている、えもいわれぬ独特の力が考えられた。
3.パラダイムシフト
スマイル:我々はこの後どこに向かえばいいのか?
きりやん:ここで最初の問い「科学は”絶対”なのか?」に戻ってみよう。
スマイル:”絶対”なものってないんじゃない?
きりやん:結論としてはないんだよね。一つの考えとしてパラダイムシフトって考え方があるんだよね。パラダイムっていうのはその時期、そのある分野、ある考え方を支配している法則とか大きなルールが変わっていくってこと。これが科学の歴史ではありうるっていう考え方。実例を出すと地球って丸いよね。地球って太陽の周り回っているよね。でも、昔は天動説が一般的だった。
スマイル:昔は地球が中心だってみんな思ってたんだ。そりゃ自分がいる場所が中心だろって思うよね。
きりやん:普通に考えて自分の立ってるところがどっかの周りを回っているなんて思わないよね。今はみんな地球は丸くて太陽の周りをまわっているってことを知識として知っているからそう思っているだけでそれがわからなかったら回ってるなんて思わないじゃん。そういうわけで地球は回ってないというのが昔の人にとってのパラダイムの1つだった。それが今では地球は回っているというパラダイムに変わった。これがパラダイムシフト。これに限らず小さなパラダイムシフトっていうのは頻繁に起きててさっきの例のラプラスの悪魔も量子力学の出現によってニュートン力学が全てではなくなったというのも1つのパラダイムシフト。こういうのがどんどん増えてってるんだよね。
スマイル:とんでもないぞ。
きりやん:知識が増えていくとわからないことが増えてくるわけじゃん。知識の蓄積によって本当だと思われていたことが実は間違ってたってことがわかったり。誰もが信じてたことを本当に信じてもいいのか。
スマイル:そんなことを言ったら今、地球が太陽の周りを回ってると思ってるけど全然見方の違うとんでもない事実が判明するかもしれないってことじゃん。お手上げだよ。
きりやん:仮に地動説っていうのを信じてるけどそれもわかんないじゃん。一応衛星とかで写真撮ってるけどその写真が本当なのかわからないじゃん。多分本当なんだろうけど。
スマイル:そもそも「事実」というのは何でしょうか?結局これは絶対に正しいって思っても人間の脳がそう思っているだけで。
きりやん:結局どんな法則も経験則をもとに作られたものだから。
スマイル:実験結果から得たものが科学というものなんだからね。科学の条件は反証可能ですっていうのを聞いたことあるよ。例えば宗教だと神様がいるからこうなってますって反論できないじゃん。じゃあなんでこうなるの?神様がいるからってなるじゃん。でも科学は反証が別の違う実験結果を持ってくれば反証ができる。
あくまでも近代宗教の話に移りますけどそこまで宗教に依存してないんじゃないかなって思います。(どうでもいい所でつっかかってすみません)トマス=アクィナスというイタリアの神学者が大成した「スコラ哲学」の考えに乗っ取ると決して宗教家達は神に由来していないと思います。
~スコラ哲学とは~
・神学としてのキリスト教(信仰)
・学問としてのアリストテレス哲学(理性)(※天文学とかでお馴染みの人で今の科学の基盤を作った方の教え)
この理性と信仰の両者を共存した哲学体系のことを指します。トマス=アクィナスの主張だと信仰の方が上位だと見なしてました。
一言でまとめると「理性(哲学)で物事を理解して信仰(宗教)で事物を受け入れる」ということです。
どういうことかというと、理性を磨く=勉学に励む(当時の主な学問は哲学ですけど現代だと学校の勉強とかに置き換えるとわかりやすいかも)ことによって日常の様々な事象を証明・理解できます。それを自分が信仰している宗教の神様の教えに従ってその事象の存在を認めるという考え方です。
近代以前の人々は物体に魂があると考えたり、神の力により世界が成り立っていると考えていました。現代では宗教よりも理性の方が上位だと考えられているためあまり馴染みのない考え方だと思います。しかし近代に入り、宗教の力が弱まったことでより理性的な視点が強まったおかげで科学が発達しました。「じゃあこれはどういうことなの?」という問いに対して「神様のお導きにより!」なんてことではなく今日の科学では「これはこの物質と物質が作用して……」ってきちんと説明がなされるんですね。科学マジありがとう。高校生の時にすごい苦しめられたけどちょっと好きだよ。
きりやん:今、信じられてる法則とか理論とかってまだ反証が出ていないだけ。
スマイル:いつか覆される日が来るかもしれない。そういうのが科学なんだと。
きりやん:科学っていうのは揺るぎないものの例として使われることが多いけどね。例えばお化けなんて科学的じゃないだろ、みたいな文脈で使われる科学的っていうのはちゃんと説明できないって意味で使われるじゃん。裏を返せば科学的っていうのはしっかり説明できたり裏付けがあるって意味で使われことが多いけど実はそんなこともないんじゃないのかな。
スマイル:科学は完全ではないと。
科学は確かに完全ではないですね。これまでのパラダイムがいくつも変身されていった今日の科学が成り立っています。そして、少なからず私たちは科学のおかげで生活が営めている。しかし、科学にももちろん間違いが起こりうることもありますよね。科学哲学の役割とはこういった実験・検証によって出てきた仮説を整えていく所にあるのではないかと思いました。
~まとめ~
☆科学は絶対ではない
過去の実験結果から信頼性が高い理論だと言えるが、いつか覆される可能性もある。
結論:100年後何が常識になっているのかわからない。
今回の話を聴いていて思ったのは科学は成長していくのだなということです。私の言う「成長」とは身長が伸びたとかで使われる成長のことではありません。「新陳代謝」とも言い換えれると思います。
どういうことかというと現在様々なパラダイムが科学によって成り立っていますよね?しかし、そのパラダイムは科学自身によって否定され、また新たなパラダイムが生まれる可能性が大いに有り得ます。
つまり、過去は否定され、乗り越えられるべきものとなり、昨日の世界は今日によって否定されます。しかし今日の世界もまた明日によって否定される様になるのです。
これってつまり古いものを新しいものに塗り替えていってるということですよね。このメカニズムは「成長」していると言っても差支えは無いものだと思います。
そもそもなぜ、人は「不思議」に出会うのでしょうか。それは自分の持っている常識に目の前に立ちはだかる事象が当てはまらなくなったからだと思います。
なぜそれが正しいのかをきちんと知るというのが私達の使命なのではないでしょうか。
いつかその成長の到達点に辿り着いた時――ある意味シンギュラリティとも言えましょうか――私達は何を見るのでしょう。
結論:全ての道は哲学に通じる
(´-`).。oO(結局、文系的な話でしか科学哲学語れなくてごめんなさい。
蛇足
この企画自分が知らなかった分野を知る機会になるし、何よりも人の意見が聞けるのって楽しいですよね。ただ、第3弾が出た場合また書くかどうかと言われると正直微妙な所ではあります。これからかなり忙しくなるというかもう既に忙しくてこのブログ記事も前回も結構準備不足が否めないなって思ってます。
これから数ヶ月はストック記事を1ヶ月に1回更新する感じになるだろうし9月の記事は編集出来てないしでもうどうしようかなって感じです。
ですのでもし、第3弾の動画が上がってもこの企画をやるのは大分先になるだろうなと思います。
テントリーリニューアルむっちゃ楽しみ!
(´-`).。oO(ガチで全然関係ないじゃんw
~参考サイト~
〇しゃる日記
古典力学と量子力学の違いを超分かりやすく解説してみる | しゃる日記
〇物理のかぎしっぽ
運動の法則 [物理のかぎしっぽ]
~参考資料~
〇戸田山和久「科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる」2005年、NHKブックス
人工知能はなぜ椅子に座れないのか: 情報化社会における「知」と「生命」 (新潮選書)
- 作者:松田 雄馬
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/08/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)