言いたいことを言ってるだけ

今の所、毎月9のつく日に更新したい。叩かれるの怖い。

「あたし、あの子なんか大っ嫌い」でいいのか。

1年前に書きかけてやめた記事とちょうど今、世間で話題になっている問題がリンクしたのでここに加筆したものを載せようと思う。ただ、何故私がこの記事を一度、しまっておいたのかというとこの話題に触れてはいけないことだと思ったからだ。事態は思っていた以上に複雑だ。だからこそ少しでも不満に思ったら読み飛ばしてもらっても構わないと思っている。
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こういう話題に触れていいのかわからない。

自分は生粋の日本人であるし、両親も日本人だ。しかし、最近の研究で100%その国の血を持つ人はいないということが発覚した。

この動画は「DNAの旅」という動画だ。この動画で述べられている様にその人は母親と父親の間から生まれ、また両親も母親と父親から生まれ……と先祖の断片全てが自身のDNAとして刻み込まれている。元を辿れば国という概念は無く、それは言葉によって分け隔てられた境目にすぎない。言葉から派生し土地や宗教観、文化、政治など本当に様々な要因が絡まり合い、今こうして「国」を名乗っているに過ぎないのだ。私達は同じ人間にすぎない。

さて、なぜこんな話から入ったかというと私の中にある違和感が巣食っているからだ。それは「国籍」と「いじめ」について。そして世界中で暴動が起こっている「差別」だ。

例えば、TwitterのTLで色んな創作漫画を見かけるがその中のシチュエーションで主人公がハーフで虐められていたというのがある。ただ、そのシチュエーションに違和感を覚えてしまうのだ。

何故、ハーフだといじめられるのか?

あくまでも創作物の設定にとやかく言うつもりはない。その設定を生かした素晴らしい作品だって豊富にあるのだ。あくまでもそこは別次元の話だと割り切っておく。ただ、それを無しにしても小さい頃からTVの情報番組の特集やネットニュースのコラムでたまにハーフが被害者のいじめのトピックを見かけることが多かった。つまり、現実にもハーフだからいじめられることが十分あり得るということだ。そう考えるやはり私は現実と自分の考えに違和感を感じてしまうのだ。というのも、私が義務教育時代に通っていた学校では学年に約1割のハーフがいた。クォーターなども含めると更に数は増える。100人学年だったら10人いる計算だ。結構多い。ただ、後から分かったことなのだが私の学年がたまたまハーフの割合が多かっただけで他学年から見たら稀有な光景だったらしい。

そんなルーツがあってか、ハーフを異質だと思ったことがない。名前からしてわかる子もいれば、本人が「私もハーフだよ」と言われなければわからない子もいた。私がパッと思い出した子の場合、アジア系同士のハーフだったので全くわからなかった。

よく「日本には差別がない」と言われるがそんなことは全然ない。私は学生時代、国際系の部活に所属していた。その時にアフリカ系の留学生の方とお話をする機会があり、年の割には人より外国の人と触れ合っていたのではないかと思う。しかし、未だにその黒い肌の色を見る度に「見慣れない」という感覚が生まれてしまう。それはどうしたって日本という国で育ってしまったからだ。日本という黄色い肌の多い国で生まれ育ち、肌はこの色だという観念が染み付いてしまっている。それは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。その感情に決して差別の意はないのだけど。

じゃあ、お前は肌の色で人を選別するのかと言う人がいるかもしれない。それに対して断じて違うと声を大にして私は言う。

www.refugee.or.jp

こちらの記事を見て頂きたい。こちらの記事では実際に幼少期、自身がハーフであることでいじめられた方々の経験談が載っている。これらのいじめで共通することは「見た目」なのではないかと私は考えた。私も当てはまるのだが人はどうしたって見た目で判断されがちだ。「背が小さいから小中学生ぐらいか」「目が青いから外国の子だ」などの声が挙げられるだろう。では、その判断基準というのは一体どうやって生まれるのか。

「想像の共同体」という言葉をご存知だろうか?簡単に言うと人々の心の中にだけ存在する共同体のことだ。例えば、私たちは「日本人」である。では、その基準はどういうものか。日本人同士の親から生まれたから日本人だ。日本で育ったから日本人だ。パッと思いつく理由はこのぐらいか。ならば日本以外の国出身の親同士が日本で子供を産み、育てたらその子は「日本人」なのではないか。逆に日本人同士の親が他国で子供を産み、その国で育てたとしたらその子供は日本に一度も訪れたことがないのに「日本人」を名乗らなくてはならないのか。

それは本人の自由なのである。日本で生まれ育とうがそうではなかろうが家族の都合で重国籍になった人には国籍を選ぶ権利がある。そこに私たちは口をはさむ権利はない。日本では現在、国籍法によってある一定の年齢になるまでに国籍を選択しないと日本国籍を失効してしまうきまりがある。法務省の規定(昭和60年1月1日以後に重国籍となった日本国民)によるとこうだ。

ア 20歳に達する以前に重国籍となった場合→22歳に達するまで
イ 20歳に達した後に重国籍となった場合→重国籍となった時から2年以内
※ なお,昭和60年1月1日以後に重国籍となった方が,上記期限までに国籍の選択をしなかったときには,法務大臣から国籍選択の催告を受け,場合によっては日本の国籍を失うことがあります。
引用元:法務省

この様に規定はあるものの「自分は○○人である」という観念は尊重されるものであり、優劣を決めたり、異質さを指摘される筋合いはないのだ。

さて、ここまで述べてきたように国という概念はあいまいで見た目で左右されるものであるべきでないという話をしてきたつもりだが理解して頂けただろうか。今回は「ハーフ」にスポットを当てて話を進めてきた(というか元々の予定がそうだったからだ)。現在、問題となっているミネアポリスで起こった事件やその暴動とも重なるところがあるのではないか。現在、ミネアポリス市議会では警察解体の意向を示している。これが実現すると、市の自治体としての信用は0になったと言っていいだろう(もう既にそうなのか?)。人は事件が起きないと考えない。ほとんどの人がそうだ。しかし、今回の件により、たくさんの声が上がり、差別撤廃の観念が少しでも広まれば救われる人はきっとたくさんいると私は信じたい。この度の暴動に巻き込まれたことで亡くなった方にご冥福をお祈りする。


最後にこの歌詞を引用しよう。

愛が世界救うだなんて僕は信じてないけどね
引用元:桜のあと(all quartets lead to the?)/UNISON SQUARE GARDEN

確かに私も愛で世界が救えるとは思っていない。しかし、愛は世界を救う必要条件なのではないか。このことを問うていきたい。



~参考サイト~
〇モ・モント社制作「世界の旅」
「DNAの旅」 日本語字幕版 - YouTube

〇ニッポン複雑紀行
「日本人」とは何か?「ハーフ」たちの目に映る日本社会と人種差別の実際 | 下地ローレンス吉孝 | ニッポン複雑紀行


法務省
法務省:国籍の選択について

〇CNN日本版
CNN.co.jp : 米ミネアポリス市議会、「警察解体」の意向表明 黒人男性死亡受け